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松山と野球拳 |
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イケメン連の踊りは、まつりが始まった当初からの民謡調の楽曲を使用し、日本舞踊の振りを基本としています。なぜなら、このまつりが「野球拳おどり」であることを大切にしたいからです。ここ数年、極端な編曲が進み、ちょっと耳にしただけでは野球拳であるかどうかわからない楽曲が増えてきました。しかし、私たちは野球拳がここ松山で生まれた歴史的背景や文化的土壌をもっと大事にしたいと思います。
野球拳おどりの元となった野球拳は大正13(1924)年に誕生しました。この年、高松で実業団の野球大会が行われ、強豪の伊予鉄チームも松山から遠征しました。しかし、結果は完敗。その夜の懇親会の席で、意気消沈する部員たちを奮い立たせるために副監督の前田伍健(ごけん)は即興で詞を作り、三味線で節をつけ、部員たちに躍らせました。座は大いに盛り上がり、夜の部は松山勢の大勝利。こうして生まれた野球拳はその後、全国的な流行を見せることになるのです。 |
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野球と宴席芸、そして松山。何の脈略もないかというと、そんなことはありません。愛媛は夏の高校野球の勝率が都道府県で1位の野球王国ですが、その歴史をさかのぼれば、明治の半ば、東京で野球を覚えた正岡子規が故郷でその楽しさを広めたことに始まったといっていいでしょう。そして、歌舞音曲の盛んな城下町であり、文化的素養を持った人が多くいたということ。前田伍健はのちに県川柳文化連盟の初代会長も務めた人物ですが、まさに文武両道。野球拳は松山で生まれるべくして生まれたのです。野球拳の名は全国区ですが、松山発祥という事実があまり知られていないことは残念なことです。
話が少々難しくなりましたが、イケメン連プロジェクトのねらいは、より多くの人にまつりに足を運んでもらうこと。そして、参加してもらうことです。「年に一度の松山まつり 見ているだけではおもろない アホも利口もあるもんか みんなで踊りの輪の中へ」。プロジェクトの理念は崇高ですが、踊りそのものは何も難しくありません。飛び入り参加したあなたもすぐに楽しめるはずです。ボールを模した砥部焼のお皿を手にしたら、遠慮なく輪の中へ。イケメンたちと踊り歩いた一夜は、きっと忘れられない夏の夜の思い出としてあなたの胸に刻まれるに違いありません。 |
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